かっこいい大人コラム

vol.09

安藤忠雄さん

建築家

1941年9月13日生まれ

考える子どもたちを育てなければ、未来はない

2020年7月大阪・中之島に「こども本の森 中之島」がオープンしました。設計を手掛け、寄贈したのは建築家の安藤忠雄さん。「地球は一つ。未来を担う子どもたちには、元気よく自由に世界に羽ばたいてほしい。そのために豊かな感性や想像力を育むことが大切」と語ります。建物は建てたら終わりではなく、育てていかなければならない。考える子どもを育てるため、夢をあきらめず覚悟を持って困難に立ち向かう生き方に、安藤さんの気迫を感じます。

社会を支えていく子どもたちに
多くの本と出会ってほしい

──安藤忠雄さんが、次の社会を担う子どもたちのために設計・寄贈した「こども本の森 中之島」(大阪市)が2020年7月にオープンしました。2021年7月には、岩手県遠野市に「こども本の森 遠野」、2022年3月には神戸市に「こども本の森 神戸」が開館しました。「こどものための図書館」を作りたいという思いには、安藤さんの生い立ちが影響しているのでしょうか。

 

安藤忠雄さん(以下敬称略) 私は大阪の下町で、祖母に育てられましたが、生活環境には音楽や文学や絵画などの文化的要素は皆無で、子どもの頃はろくに本を読むことができませんでした。その後も、経済的な理由と学力の問題もあって、大学にも行けず、ひたすら独学で建築の勉強に打ち込んだものですから、読書の楽しさや大切さに気付いたのは大人になってからです。子どもの頃にもっと文学や音楽に触れておけばよかったと後悔しました。だから、これからの社会を支えていく子どもたちには、幼い頃からできるだけ多くの本と出会って、自由に考えて、感性を育んでもらいたい。子どもたちの未来のために、『こども本の森』をつくりたいと思ったのです。

 

──24歳のとき、アルバイトで貯めたお金でシベリア鉄道に乗ってヨーロッパを一人旅し、アフリカ大陸まで足を伸ばされたそうですが、安藤青年は何を感じたのでしょうか。

 

安藤 地球は大きいけれども一つなんだ、と実感しました。祖母から、「お金は持っていても仕方がないから、経験に換えて、自分の頭や体の中に入れておいたほうがいい。海外に行って、いろいろな生活を体験してみたらいい。気合を入れて、納得できる人生を生きなさい」と言われて育ちました。祖母は大阪の天保山で商売をしていましたが、戦後すぐに没収されて一気にお金が無くなりました。でも何とか生活はできるし、商売人ですから次のことを考えられる。そんな祖母を見て育った私もまた、お金が無くても、お金がある人より豊かな生活を送ることはできると思っていますし、大学に行けないなら、行った人よりも勉強しなければならないという信念を持って頑張りました。お金は持って死ねない。だから社会に還元したいと思っています。

「こども本の森 中之島」にある青いリンゴのオブジェは安藤さんのデザイン。「いつまでも青春を生きてほしい」という願いが込められている。

──信念は、安藤さんの手掛けた建築にも息づいていますね。

 

安藤 自然と共に生きるという感覚を大事にしています。建築家としての事実上のデビュー作は「住吉の長屋」です。いわゆる〝ウナギの寝床″のような三軒長屋の真ん中を切り取って、コンクリートの箱を挿入したような住まいですが、中央の3分の1が中庭です。屋根がないから、雨が降ったら部屋を移動するのに傘を差さなくてはなりませんが、住み手はまだお元気でそのまま住んでおられます。多くの人は不便だと言いますが、これを実現できているのは、住み手にも理解と覚悟があるからでしょうね。

 

──大病もされたそうですね。

 

安藤 胆のう、胆管、十二指腸に、脾臓と膵臓と5つの臓器を全部取りました。臓器が無いなら無いなりに、健康に気を付けながら、無理をしない、がんばらない生き方を心掛けています。今は元気に仕事をしていますよ。

 

──それは、スゴイですよ! やっぱり安藤さんは常人ではないですね。そして、かっこよすぎます。(笑)。かっこいいって、やはり生き方への哲学と覚悟、そして俯瞰する力があることなんですね。

日本には寄付文化が根付いていない

──ところで、安藤さんはご自身でも多額の寄付をされていますが、周りに寄付を働き掛けるファンドレーザーでもありますね。

 

安藤 日本は寄付文化が根付いていないから、集めるのはなかなか難しい。だから寄付を呼び掛けるときは、覚悟をもって一人で行きます。「こども本の森」の場合は、建築費は私が負担し寄贈しましたが、運営費は法人や個人から寄付を募りました。「こども本の森 中之島」は2022年3月時点で約8億8000万円、「こども本の森 遠野」は2022年2月時点で約4400万円、「こども本の森 神戸」は現在約1億6000万円の寄付をいただいているようです。
 2011年には東日本大震災の遺児のために「桃・柿育英会」を設立しましたが、毎年1万円の寄付を10年間続けようというもので、設立後半年で1万7000人もの人が賛同してくれました。2億円を一括で寄付してくれた企業もあり、総額約52億円が被災3県を通じて約1900人の遺児に支給されました。
 それから、まちづくりの意識を高めてもらおうと、2004年12月に市民からの募金で大阪のまちに桜の木を植えるという「桜の会・平成の通り抜けプロジェクト」という活動をスタートさせました。桜の植樹エリアをさらに広げて活動を継続しましたが、最終的には5億2000万円を超える寄付が集まり、3000本の植樹を行なうことができました。
 木を植えたら育てなくてはなりません。子どもも産んだら育てなければならない。祖父によく言われましたが、「犬を飼うならしっかり面倒をみなさい。みられないのなら、飼うのはやめなさい」とね。子どもの頃からそう教えてもらいました。だから、建物も建てたら終わりではなくて、育てていかなくてはなりません。

大切なのは〝感謝の心″―考える子どもを育てたい

──多額に寄付をする方はおられますが、他への働きかけをする方は少ないです。また、資金調達をする方も増えていますが、そういう方で、ご自身で寄付をする方も少ないです。ご自分も寄付をする。そして、みんなもしようよ、と呼びかけて寄付を募る、ということは日本人では珍しいと思います。そういう意味でも、安藤さんのスケールと覚悟あるスタイルが素敵です。日本人離れしておられますね。

 

安藤 〝感謝の心″が必要でしょうね。1994年、当時のマイヨール国連事務総長の発案で、ユネスコの設立50周年を記念してパリに世界祈念堂をつくろうというプロジェクトがありました。マイヨール総長から、「世界平和を実現するために、国境や宗教を超えてみんなが平和を願うモニュメントをつくりたい」という電話をいただきました。しかし、お金は無いと(笑)。いろいろな人に呼び掛けて、ひと月ほどで約1億7500万円が集まりましたが、お金を集めるのは本当に難しい。日本は、助け合って生きてきた国だけれども、助け合うことが難しくなりました。

 

───そういうことも含めて、日本には寄付文化がなかなか育ちません。子どもの頃からの教育も大切ですね。感謝をカタチにする。よく〝恩返しではなく、恩送りを″と言いますが、まさに、感謝の心をつなげていくことが大事ですね。誕生日寄付の本質もそこにあります。

 

安藤 「こども本の森」に来る子どもたちの中には、世界平和や地球温暖化について真剣に考えている子もいるようで、楽しみです。「考える子ども」を育てないと未来はありませんね。

──京都大学で、株式会社ニトリホールディングス代表取締役会長の似鳥昭雄さんなどと、次世代研究者育成のための基金としてCFプロジェクト(Create the Future Project)を設立されましたね。返済不要の給付型奨学金だそうですが、経済的理由による教育格差も顕著になっている現在、意欲ある学生たちが学びの機会を継続できることは、未来につながりますね。

 

安藤 新型コロナウイルス感染症などによって、学費や生活費が大きな負担となって、学ぶことをあきらめざるを得ない学生が増えているということを知りました。次の時代を担う優秀な人材を育てないと、日本の未来はない。できる限りの支援をしていきたいという思いから、企業や個人に呼び掛けました。
 それから、大阪大学と日本財団が進めている「感染症対策プロジェクト」では、研究棟をデザインしました。「地球は一つ」のはずなのに、新型コロナウイルス感染症は新たな分断を生んでいます。世界中から多くの優秀な研究者がこの研究棟に集まって、分野の垣根を超えた感染症の研究を進めてほしいと願っています。
 自分の心の中に残るものは何かということを考えたら、それぞれが幸せな世界をつくれると思う。自分の心で参加する。考える子どもを育てるためにも、教育は重要な課題です。

 

──「こども本の森 中之島」の青いりんごのオブジェは、「永遠の青春」と名付けられたそうですね。「目指すは甘く実った赤りんごではない、未熟で酸っぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神」という言葉には、失敗を恐れず困難に立ち向かい、夢をあきらめず、未来に向かう朗らかなたくましさを感じます。まさに安藤さんの生き方そのもののですね。

 

インタビュー:公益社団法人日本フィランソロピー協会 理事長 髙橋陽子

安藤 忠雄(あんどう・ただお)
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞。1995年建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」を授与される。1997年より東京大学教授、2003年同大学名誉教授。「瀬戸内オリーブ基金」、東京湾の「海の森プロジェクト」「桜の会・平成の通り抜け」など、数々の社会貢献活動にも力を注いでいる。

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