vol.11
尾身茂さん
公益財団法人結核予防会 理事長・認定NPO法人全世代 代表理事
1949年6月11日生まれ
世代交代ではなく
全世代によるワンチームで未来のために活動する

2019年12月に中国湖北省武漢市で原因不明の肺炎が集団発生した新型コロナウイルス感染症は、瞬く間に世界中で大流行し、日本では、2020年2月横浜に寄港していた大型クルーズ船の船内で複数の感染者が確認されました。未知のウイルスとの闘いに挑み、感染症対策に心血を注いだ尾身茂さんに、医学の道を志したきっかけや、リーダーとしての心構え、教育のあり方、そしてあらゆる世代がワンチームで未来の日本について考え行動するNPOでの活動について聞きました。
外交官志望から医学の道へ
──尾身さんは、幼少期はやんちゃだったとか。
尾身 茂さん(以下敬称略) はい、やんちゃでした(笑)。落ち着きがなくて、好き勝手なことをして、人の言うことはあまり聞かないという子どもでしたから、幼稚園に入園したものの、すぐに退園させられました。小学校に入っても一向に直りませんでしたね。でも3つ違いの兄が優等生で、東京教育大学(現筑波大学)附属駒場中学という難関校に進学したことで、自然と自分も兄のように振る舞わなければと思って真面目に勉強するようになりました。中学受験には失敗して地元の公立中学に行きましたが、高校で駒場高校に入学しました。
──高校時代、AFSでアメリカに留学されたそうですね。
尾身 留学は高校3年のときですが、この経験は大きかったですね。失敗も成功も、楽しいことも辛いこともありましたが、若いときに経験できたのは非常によかったと思っています。いろいろなことを考える機会になりました。
──将来の進路はどのように考えていらしたのですか?
尾身 外交官になりたいと思って東大の法学部への進学を目指したけれども、大学紛争のあおりで入学試験が中止になってしまって、慶応大学法学部に入学しました。でも学生運動の波はここにも押し寄せてきて、反権力とか反体制が叫ばれる時代でしたから、外交官を目指しているとは言えない雰囲気でした。
──外交官志望から転じて医学への道を志したきっかけは何だったのでしょうか。
尾身 医学者の内村祐之の『わが歩みし精神医学の道』を読んで、医者になりたいと思いました。内村鑑三の長男で東大医学部教授だった祐之の自伝です。医者になれば、人々や社会から喜んでもらえるのではないかと思って、退学してどこか医学部に入り直そうと決心しました。
──ご両親は反対なさらなかったのですか?
尾身 父には猛反対されました。父は日本鋼管に勤めていたのですが、日本鋼管の幹部には慶応出身者が多くて、慶応生へのあこがれがあったようです。機関車の運転手になりたかったようですが、体が弱くて、起重機の運転手で川崎港に着いた鉄を陸に上げる仕事をしていました。慶応卒の新入社員が研修のために現場に来るわけですが、そうすると1日だけでも自分の部下になってくれる(笑)。
──息子が慶応を卒業するのを楽しみにされていたのに、それをまんまと裏切った…(笑)。そのときお母様は?
尾身 母には相談したことはないけれども、失敗することもあるかもしれないが、やりたいのであればやってみればいいと思っていたようです。母は群馬県の沼田の出身ですが、小学校を出て地元のお医者さんの家に奉公に出たそうです。苦労したと思いますが、可愛がられて、読み書き、そろばんも教えてもらったし、人との付き合い方、どんな人ともうまくやっていく知恵を学んだと思います。父は子どもの頃から体が弱くて、軍隊にも行けなかったから、当時の青年にとっては屈辱的だったと思いますが、自分の運命を受け入れていたと思います。真面目でしたね。両親は見合い結婚で、父のほうが年下だったから、威張ることもなかったし、お酒が好きで強かったけれども、くだをまくようなことはありませんでした。両親には素直に感謝しています。
──そして、慶応大学を中退して自治医科大学に入られた。
尾身 第1期生です。まだ病院もできていなくて、全寮制で600人~700人入るところが100人しかいないし、寮から病院の建設工事の音が聞こえるんですよ。夏休みになるとやることがないから、工事の現場に行くと、現場の職人さんが「アルバイトするか」というので、手伝う。われわれが建設に関与しているわけだから、雨漏りなんかしたりね(笑)。
得手に帆を揚げよ
──大学にあった、大学書房の店主である金田英雄さんとの出会いでは、大きな影響を受けたられたとか。
尾身 金田さんは医学生生活において最も影響を受けた一人です。マージャンも一緒にやりましたし、人生談義もしました。その後39歳でWHOに進もうと思ったときも、「40歳まで迷わない人はバカだ。40歳を過ぎてから迷うのもバカだ」という金田さんの言葉を思い出しました。「得手に帆を揚げよ」という言葉も忘れられません。
自分が何に向いているのか向いていないのか。何が好きなのか、苦手なのか。苦労したり、辛いことがあっても、好きならばなんとか乗り切れる。若い人たちにも、親の決めたレールに乗るのではなくて、いろいろなことを経験して、大いに迷って、自分がどういうことに向いているのかをぜひ考えてほしいですね。
──無事大学を卒業されて、離島に行かれたのですね。
尾身 都立墨東病院で研修医として勤務した後、伊豆七島の利島に行きました。私と女房と息子の3人で行きましたが、人口が300人ほどですから、われわれが行っただけで人口が1%増える(笑)。胃の内視鏡なんかも40歳以上の全員にやりました。島の人たちとも仲良くなりましたよ。
──その後、WHOのお話が来たのですね。
尾身 離島での勤務が終わって都立病院に勤めていたころ、高校時代に一緒に留学してユニセフにいた浦元義照君から、「医師免許があって、英語もできるし、性格的にも合っているからWHOで働いたらどうだ」と言われたんです。当時はポリオ(脊髄性小児麻痺)を根絶しようという機運が国際社会で高まっていましたから、それをやってはどうかと。1990年9月に、フィリピンのマニラに本部があるWHOの西太平洋地域事務局に赴任しました。大変だけれども楽しかったですね。

リーダーとしての責任と覚悟
──その後、地域事務局長になられましたが、リーダーのあり方とは?
尾身 人間社会では、多少意見が違ってもみんなが仲良くして日常生活を送るほうがいい。でも「世界のためにやらなければならない」ことを決断するためには、きちんと議論しなければならないし、場合によっては喧嘩をしなければならないこともあります。1998年に加盟国による選挙で、地域事務局長に選任されました。選ばれてWHOという機関の責任あるポジションに就いたわけですから、社会や世界のためにいいことは、喧嘩をしてでも絶対にやり遂げる覚悟でした。リーダーなんだ、ということは常に自分に言い聞かせていましたね。SARSのときでも、自分の一挙手一投足で決まってしまうという緊張感が常にありますから、もう少しあの国と仲良くしなければだめだ、などという発想よりも、もっと高い次元で考えなければならない。
今回の新型コロナ対応にしても、われわれ新型コロナウイルス感染症対策分科会は一般の方々から、最初は政府に忖度していると言われ、最後には喧嘩ばかりしている、と言われました(笑)。しかし与えられた役割だから、嫌われても仕方がない。言うべきことは言う。母がいたら、「茂、弱気になるな」と言ったでしょうね。
──お母様、かっこいい!そしてWHOで鍛えられたご経験が活きたのですね。
尾身 そうですね。長い間一般職員とは違う責任感を持っていたわけですから。日本の大臣はしょっちゅう変わるでしょう。補佐も官僚もたくさんいる。WHOではスタッフとはもちろん相談するけれども、最終的には選挙で選ばれた責任をもって決断しなければなりません。でもこういう態度が、政府にとってはおもしろくなかったかもしれませんね。
──立場によって見える景色も違いますからね。いろいろ批判が多く出ていた折なのに、夜に散歩をなさっておられるところをテレビで拝見しました。危ない目に遭わなかったですか?
尾身 散歩はね、健康のためですよ。ストレスがあるから気分転換をしないと。散歩の時間はオフになれます。家やオフィスではなくて、外に出れば空が見えるし、景色が変わります。どんなに忙しくても環境を変えるのは大事だと思います。幸いなことに危ない目には遭わずにすみました(笑)。
経験を次に生かす―検証の大切さ
──最後の記者会見で、「この経験を次に生かすべき」と述べておられました。失敗も含めて経験から学ぶことは大切ですし、きちんと検証することも重要ですね。
尾身 私の経験でも、こんなに大きな疾患はありませんでした。だからこそ、次のパンデミックに備えるためにも、何が良かったのか、何が本質的な問題だったのか、今から何を準備しておけばいいのか、といった検証をするべきです。
──検証は、日本人は不得意なのでしょうか? 批判に通じる、ということになりかねないからでしょうか? 「検証」は次に生かす、という意味では不可欠な作業ですね。
尾身 誰かを批判することではありません。公表されたデータや資料、発言記録などはあるわけですから、しっかり分析しておくことが大切です。イギリスは日本に比べて死亡者数がはるかに多かったから、実行としては失敗したと思いますが、検証はきちんとやっています。
日本の医療の質や技術は間違いなく世界一流です。感染者や死亡者数も欧米より少なかったにもかかわらず、なぜ医療ひっ迫が起きてしまったのか。医療ひっ迫が起きたから緊急事態宣言や重点措置などを繰り返し出さざるを得なかった。一般診療を制限したり、がん患者を移して、コロナ病棟を増やすという対策が果たしてよかったのか。
日本の医療は高齢化社会に見合うように、急性期の病院を減らして、慢性期の病院を増やすことにシフトしてきた経緯があります。パンデミックを想定していなかったから、複眼的な見方ができなかった。集中して1000人ぐらいを受け入れられる病院がいくつかあればよかったのですが、中小の病院が多いから、どう考えても非効率なわけです。こういう本質的な問題を今議論しなくていつするのか。次のパンデミックが起これば、また同じことを繰り返すことになります。残念ながら政府が出した報告書は検証には値しない。単に事務的にやっただけです。
心の知能指数を高める教育を
──企業の経営者も国のリーダーもそうですが、自分の在任期間中の評価を気にするから、短期でインパクトのあることはやるけれども、その弊害もあるように思います。教育もしかりですね。もっと歴史を俯瞰しつつ、かつグローバルな視点が必要ですね。
尾身 このパンデミックはいろいろな分断も生みました。アメリカはトランプ政権になってさらに分断が加速されています。リアリティは一緒なのに、部分を見ているだけで、トータルに捉えて議論していません。
ホモ・サピエンスの敵は動物で、食うか食われるかの関係にいるから、情報は生存に不可避です。家族だけではなくて周辺のグループも含めて情報をみんなでシェアして、自分たちの生存や自分たちの住むエリアのためにうまく活用した。ネアンデルタール人やほかの類人は自分たちの小さなコミュニティだけでシェアして、情報をうまく活用できなかったから絶滅したわけです。
現代社会は情報量が有り余っているから、うまく活用すればいいのに、個別のところだけ選択的にやっている。ホモ・サピエンスは地域の結束のために情報を使ったけれども、現代人は分断の方向に使っている。例えばワクチンにしても、陰謀説や偽情報がたくさん出ました。ワクチンを打つと子どもが生まれなくなるなんてあり得ないのに、それをまことしやかに受け取る人もいる。
──出てきた情報を鵜呑みにするのではなくて、自分できちんと考えるべきなのですが、どうも流されやすい。考える力をつける必要がありますね。
尾身 それには教育が大事だと思います。偏差値教育ではなくて、自分で考える力、共感する心を養って、エモーショナルインテリジェンス(EQ:心の知能指数)を高めることが必要でしょう。技術が発達したからこそ、心の感情の重要さを認識してほしいですね。
──大人がそういうことをきちんと見せていかなければなりませんね。社会貢献プログラムを実施する中で、子どもたちが、この課題を解決するために、この人を何とか救うためにどうすればいいかを考えることで、さまざまな工夫をする。あえてPDCAを教えなくても、小学生でもいろいろな方法やアイデアを考え付きます。
尾身 日本の教育は、文部省が教育課程やいろいろな指針をつくっていて、授業の単位はもちろんですが、教員の数も決められている。でもいまはオンラインでも授業はできるし、ビデオもあるし、すべての学校に同じように先生がいる必要もないでしょう。先生の成り手がいない、先生が忙しいと言っていますが、これまでの記憶力や偏差値重視を変える必要がありますね。人間の成熟度が科学技術の発展に追い付いていない。これが最大の、とても大事な問題だと思います。

寄付とは、感謝する気持ちの表明
──社会がだんだんと不寛容になってきています。だからこそ例えば寄付をして、誰かの何かに役立っているというリアリティを感じることは大切だと思います。寄付についてどのようにお考えでしょうか。
尾身 国民が納めた税金の使い道を決めるのは政治家や官僚です。国民の意見は一応吸い取るわけですが、個人個人で多様な思いがあるわけだから、全部を集約することはできません。国がやるのは最大公約することです。一方で、額は少ないかもしれませんが、市民が思いを乗せて寄付することで、気持ちに沿った、きめの細かい活動ができます。それぞれの財政的な余裕に応じて、寄付をするという行為はこれからの社会に求められることで、私は大賛成です。寄付したお金が何に使われているのかわからないという懸念を持たれる方もいますが、小さな組織は誰がやっているかわかるし、透明性もありますから、スケールは小さくても市民社会の底力になると思います。
──ただ、寄付行為についてはまだまだ偽善と捉える方もいらっしゃいます。寄付への理解はまだまだですが。
尾身 世の中に今の自分があるのは、いろいろな人のおかげです。寄付は、感謝する気持ちの自然な表明でしょう。大事なのは「行為」「行動」だと思います。仮に、単に善意ではなくて、ほかに気持ちがあったとしても、やらないよりははるかにいい。動機が不純でも、寄付によって気持ちを表すことで、世の中が変わればいいと思います。
いろいろな世代がワンチームで、未来のために活動する
──WHOのお仕事を終えて日本に帰国されて、剣道を再開されたそうですが、もうひとつ、NPO法人「全世代」を立ち上げられました。この活動についても教えてください。
尾身 WHOに勤務していたころ、世界各地を訪問しました。発展途上国の多くは経済的に大きく後れているわけですが、一般市民がNPOなどを立ち上げて、自らのコミュニティづくりに大きく関わっている姿をあちこちで見ました。でも日本に戻ってきたら、選挙の投票率が戦後最低を更新して、無力感が漂っている。日本の将来を良くしたいと願う老若男女が一緒に活動する機会があってもいいのではないかと考えて、「全世代」をつくりました。
今の若者は元気がないという人もいるけれども、全世代の活動で付き合っている人たちはしっかりと志を持っていますよ。国や行政に任せて文句ばかり言うのではなく、そして分断するのではなくて、意見は違うけれども理解し合える社会をどうやってつくっていけばいいのか。政治家は選挙のことで忙しくて、落ち着いて次の世代のための戦略を考えられないでしょう。でも次の日本社会を良くしようと考えて行動している若者たちは生まれてきているので、われわれ年寄の経験と知恵でサポートしたい。だから世代交代ではなくて、全世代。同じ時代を生きているいろいろな世代が関わって、共に未来のために活動するワンチームになることが大事だと思っています。
──世代間の分断が言われがちですが、未来のために今を生きる者が共に働く。未来に向かって全世代で取り組むことが重要ですし、新たな実験でもありますね。わくわくしてきました。ありがとうございました!
インタビュー:
2025年4月
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 髙橋陽子
尾身 茂(おみ・しげる)
1949年東京都生まれ。自治医科大学卒業。伊豆諸島や都内での地域医療などを経て1990年から世界保健機関(WHO)に勤務。1999年、WHO西太平洋地域事務局長。2022年公益財団法人結核予防会理事長。2009年政府の新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会委員長、2020年2月新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長。2020年7月~2022年8月新型コロナウイルス感染症対策分科会長。2023年9月に『1100日間の葛藤』(日経BP)を刊行。